山口・広島紀行2
8月9日(土)
台風も過ぎ去ったこの日は防府、そして宮島に向かいます。
湯田温泉駅から小郡で乗り換えて防府へ。
防府でのお目当ては毛利博物館です。計画を立てた段階では防府に来る気はまったく
なかったんですが、ちょうど開催中のテーマ展が「毛利氏と戦国の武将たち」だったので、
これは行かなければ!と思ったんです。でも、こういった展示って残念なことに名前ほど
よくなかったりするんですよね。事前に展示内容がわかればよかったのですが、わざわざ聞くまでも
ないなぁと思い、一か八か行くことにしました。
博物館は旧長州藩主毛利氏の邸宅の一角にあります。まずは邸宅の見学なのですが、
明治から大正にかけて作られた邸宅はとても立派で、近代建築にあまり興味がない私でも
来た甲斐があったと思わせるすばらしいものでした。特に1階の大広間がすばらしい。
そしてメインの博物館ですが、展示内容は期待していたより
はるかによかったです。
書状がほとんどでしたが、書状は何よりも貴重な史料だと思うので、間近に見ることが
できて、とても満足しました。ここまで来てホントによかった。
有名な「三矢の訓」のもとになったと思われる「毛利元就教訓状」も見られましたし、
「毛利元就郡山籠城日記」、傘連判で有名な「毛利元就外十一名契状」(ともに重文)ほか往時を
偲ばせる良質の史料が並んでいるのには感激しました。
「毛利元就教訓状」について以前に本で見たときから、気になってたコトがありました。
それは元就公はこの教訓状を長男から順に隆元・元春・隆景という3人の息子に宛てて
書いているんですが、基本的にはこの順で名前が書いてあるのに、たまに「隆景・元春」とか、
最後の宛名も「隆元・隆景・元春」になってたんですよ。
結局、この三兄弟で、一番表立って活躍したのは三男・隆景なんですが、それにしても、
なんでだろう?この時点ですでに隆景が長兄・隆元より目立ちつつあったようで、それを
諫めるため、特に隆景に読んで欲しいという気持ちからかなぁとも思うのですが、
次兄、ビミョーに立場がないぞ(笑)。もちろん、ご存じのとおり、次兄・元春も素晴らしい
武将ですから、実際、立場がないってことはありません。
この兄弟、この時点であんまり仲良くなかったのは確かなようです。
しかし、長男・隆元の急死、そして元就公の死去で毛利家を背負うのは隆元の息子・輝元になった
ワケですが、当時、輝元は19歳。時は乱世、当主に力が無ければ、たとえ身内であっても、
容赦なくその座を奪う者も多いのですが、それぞれ吉川家と小早川家を継いでいた元春・隆景兄弟は
補佐役に徹し、毛利家を支え続けました。世に知られる「毛利の両川」です。
この旅の前に小早川隆景に関する本をいくつか読んだのですが、若かりし頃は「兄さんたちより
自分の方がすごいぞ」という面が結構あったみたいなんですね。実際、彼の政治手腕は
抜きん出ているものがありますし。それが、生涯、毛利家の補佐役に徹し続けたというのは、
息子たちに他家を継いでも毛利家を疎かにするなと言い続けた元就公の影響が大きいんだなと
「毛利元就教訓状」を見て改めて感じました。
骨肉の争いが絶えなかった戦国の世や核家族化が進行していて、家族の絆が脆弱になりつつある現代を
思うと、なんだかとても考えさせられると言いますか、感動を覚えました。
毛利家の人々は元就公を筆頭に筆まめみたいですね。筆まめっていうのとはちょっと違うんですが、
吉川元春は太平記の写本もしてますし。
伊達政宗が筆まめの印象が強かったんですが、毛利家もすごいかも。
しかし、ある意味、一番印象に残ったのは武田勝頼が輝元の
重臣・口羽通良と福原貞俊に宛てた書状で、毛利が将軍・足利義昭を奉じて上洛したら、
自分も京都まで行くみたいな内容(うろ覚え)で、打倒信長を目指して頑張ろうって感じなんですが、
結末を知ってると空しすぎました。絵空事ですよね。毛利は天下を取る気もあんまりなくて、
信長との戦は後手に回るし、武田はこの頃(一五七九年)には天下どころか、風前の灯だし。
これが元就公と信玄公が存命中の話だったら、おもしろかったのにと思わずには
いられませんでした。もっとも、元就公も天下を取ろうという気持ちはあんまりなかった
みたいです。
将軍・足利義昭の書状も並んで展示してありましたが、やっぱり空しかったデス。
足利義昭は信長に京を追われ、毛利を頼ったのですが、このことで信長と完全に
敵対した毛利にとっては大迷惑だったんだろうなぁ。
展示されていた史料の数はそれほど多くはなかったのですが、どれもじっくり鑑賞したい
ものばかりで、予定よりずっと時間がかかりました。
展示室の受付で以前、催された特別展「毛利氏の関ヶ原」の図録と「毛利元就教訓状」の全文と
現代語訳を印刷したものを購入しました。
図録は興味深かったですよ。表紙を毛利輝元が飾ってる図録なんて、
そうはお目にかかれないと思ったら、今度「毛利輝元展」をやるそうです。
今年は生誕450年なんだそうです。おめでとうございます。
パチパチ。
毛利博物館ならではの目の付けどころって感じがよいと思います。
気になる〜。だって、輝元って一般的にはイマイチな感じなんですが、実際はどうだったの?
イマイチなのか、おじいさん、そして、二人の叔父さんが偉大すぎるのか。ワタシ的にはギリギリな
トコでよく家を残したなぁって感じで、そう悪い印象ではないんですが。もちろん、「毛利の両川」を
はじめ、有能な親族と家臣がいたのが大きいんだとは思いますが、当主によるトコも大きいですよね。
余談ですが、この人のお墓に2回も行ってる。信玄公についで多いっていうのが、ビミョー(笑)。
博物館の掲示板に貼ってあったチラシに輝元が使用してた眼鏡の写真が載ってて、眼鏡してたの?って
すっごく気になったんですが、老眼鏡だそうです。享年73歳と長生きだもんね。輝元の画像と
老眼鏡の写真を何度も見比べてしまいました(笑)。
国宝好きなクセに11月に開催される「国宝展」ではなく、「毛利輝元展」が気になるとは。
やっぱり戦国武将大好きなんですよね、私って。ちなみにこの博物館所蔵の国宝で有名なのは
雪舟の「四季山水図」です。
「毛利元就教訓状」を本で見たときの第一印象は、なんて長くて、くどいんだ(失礼)でしたが、
「毛利元就教訓状」の全文と口語訳したものはそれぞれB4の紙に細かい字でびっしり、しかも
二段書きだから、やっぱり長くて、くどかった(笑)。
いいものがゲットできてホクホクなトコで、もう一度、気になった展示品を見てから出ようと思い、
展示コーナーに向かって何歩か進んだとき、受付の方が追いかけてきました。振り向くと、
「よかったら、お持ちになってください」と「毛利氏と戦国の武将たち」と隣の展示室で開催中の
「やまぐちの歴史と美術」(こちらの展示もなかなかよかったですよ)などの案内プリントを
くださったのです。とってもありがたかったです。感謝です。
博物館を後にして、防府の駅で「双月堂」の「しほみ羹」を購入して、次の目的地へ。駅の売店で
地元の銘菓が買えるのって、時間があればあるだけ、美術鑑賞してしまう私にとってはとても
便利です。
