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武田信玄と高坂弾正
 
私は何を隠そう、戦国時代大好き人間。
勧善懲悪の時代劇が大好きなシブい子どもだった私は夕方、 再放送してた『水戸黄門』と『大岡越前』が大のお気に入り。
そのうち、NHK大河ドラマを見始めて、「こっちの方がリアル」とハマったのが運のつき。
ちょうど、『独眼竜 政宗』と『武田信玄』が立て続けに放映されたので、「戦国時代っておもしろい!」となったワケ。
周囲の友人に聞いても、ここから見始めた人が多数。『独眼竜 政宗』は名作だったね。『武田信玄』は 再放送されたからいいけど、もう一回みたいなあ、『独眼竜 政宗』。
なんで、『武田信玄』だけ再放送されたんだろう?不思議。
更に偶然にもその頃、甲州へ月に一度くらい行く機会があって、地元でもないのに、すっかり、 信玄公を地元の英雄と思うようになったんです。
小学校の社会の教科書を見て、「なんで、足利義満のあと、いきなり長篠の合戦なんだ!その前に川中島だろ。」 と腹を立てたおバカな小学生時代とたいして変わってない自分がコワい。
川中島といえば、元々は信玄公と謙信公のライバル関係が好きだったんだよね。だから、ほんの一瞬、 清廉潔白な謙信公もいいなあと思ったときもありました。ホントに一瞬だったけど。
でも、自分が成長するにつれ、謙信公のアッツイ理想にはついていけなくなったんです。 信玄公の方が確かに非情とも思えることとかしてるけど、悩めるヒーロー(?)みたいでいいなと。
で、今となりゃ、お屋形様、一生ついていきます!って感じです。

こんな私が去年の夏に書いた「武田信玄と高坂弾正」という文を掲載します。
文体は固めというか論文調になってます。


私が日本史上、最も魅力を感じる人物は武田信玄にほかならない。
自分のなかには実像と虚像、二人の信玄がまざりあいながら存在している。
だから、歴史学者が書いた論文も読めば、どうしてこんなこと思いつくのだろうというような突拍子も ない小説も読む。下手に史実の知識があるせいで、小説のどこが虚構かわかってしまい、興ざめのときも あるが、作者の信玄像がおもしろければいいと思っている。
信玄や武田軍のことを戦国最強と評する本をよく見かけるが、戦国最強決定戦など やったわけではないのだから、推測にすぎない。それも、相当、贔屓目の入ったものかもしれない。
もし、あのとき、信玄が死なずに信長と戦っていたら、というのも同じだ。とは言ってみても、 私も同じように推測してしまうのだから、自分の信玄贔屓にあきれてしまう。
虚実ともに信玄像の大半のものは突き詰めていくと『甲陽軍鑑』から来ている。実を言うと、私は まだ『甲陽軍鑑』をきちんと読んでいない。参考資料にする程度だ。
ただ、品第五だけは無性に読みたくなるときがある。
「依春日源五郎奉公立身之事」という題で、春日源五郎の立身出世について記されている。
その中で主君と奉公人の関係について「人はたゞ主君の愛により、いたらぬ者も知恵・才覚出る者也  喩ば牡丹芍薬を庭にうへて見るに、冬のかこひを能して春養いをすれば、花の時りんをおほくもち候  さむき時すてをきたれば、りんもすくなく色もあしし そのごとく主君は花のぬし、かこい養いは所領、 同心、奉公人をば牡丹芍薬とかんじて見る」と述べている。
きわめてわかりやすい喩え話なのだが、私は非常に鮮烈な印象を受けた。
なぜなら、一般論のように書かれてはいるが、これほど端的に主君・信玄と奉公人である春日源五郎の 主従関係をあらわしているものはないと思ったからだ。春日源五郎とは豪農の出ではあるが、後に 海津城代となった高坂弾正のことである。
家は名字帯刀を許されるほどの豪農であったが、農民の出であることには変わりはなく、本人の 努力だけでは如何ともしがたいものがあっただろう。人を見る目と育てる力に秀でた信玄という主君で あったから城代という地位までのぼりつめたのである。
才能を見い出し、最大限に発揮させてくれる。生涯を懸けて人に仕えるのなら…私の信玄贔屓はこのような 信玄像から来ている。

信玄はとにかく魅力的だが、家臣たちにもまた負けず劣らず心惹かれるものがある。
信玄の家臣と言えば、山県昌景や馬場信春、実弟の典厩信繁を挙げる人が多いのではないか。 実像は未だはっきりしないが、山本勘介も根強い人気がある。
しかし、私が心惹かれてやまないのは高坂弾正である。戦場での華々しい活躍が伝えられている山県等 と比べると高坂弾正は確かに少し地味な存在である。だが、海津城築城時から死ぬまでの16年間余り、 城代として越後の上杉謙信に備えていたことを考えると、信玄の信頼が大きかったことが窺える。
また、敵方の戦力、状況などを判断し、戦の延期等を直接進言する立場にあったと『甲陽軍鑑』は伝えている。
『甲陽軍鑑』には弾正の思慮深さを物語る話が多く載せられている。
その一つに長篠の合戦で大敗を喫した勝頼たちを伊那で出迎えた際に、用意していた武具・衣服に 替えさせ、敗戦の見苦しさを感じさせないようにしたというものがある。
そして、その次の年、信玄と弾正の関係を物語る、私にとって忘れられないエピソードが 「御宿堅物書状」によって伝えられている。
この年、死後三年経って、信玄の葬儀が正式に行われた。
葬儀の前日、高坂弾正は塗籠に納められた信玄の遺骸を棺に移す役を命ぜられた。 そして、葬儀では家臣は皆、烏帽子姿で参列する中を「別して往年の因浅からざるに付て、頻りに悃望申し、 剃髪染衣の姿でお供」したのである。
最高の理解者であった主君信玄を亡くし、山県、馬場を始め、信玄子飼いの重臣たちは長篠で戦死し、 親類衆を除けば、最後の重臣であった高坂弾正の胸の内はどのようなものであっただろうか。
弾正の心中を察すると胸に込み上げてくるものをおさえることができないのである。

私が武田信玄に魅了され、その後、高坂弾正の存在を知ってからずいぶん経った。どちらとも虚構の 世界で出会ったわけだが、史実を知っても、その魅力は衰えることはなく、輝きを放っている。
これから先、自分が年を重ねていく過程で、ものごとの考え方も変わるだろうが、そのときはまた、 信玄や弾正に違う魅力をかんじているに違いない。

注) 高坂弾正として知られているが、高坂姓はほとんど史料にあらわれないので、本来なら春日弾正 と書くべきである。しかし、ここでは『甲陽軍鑑』で使われており、一般的な高坂弾正の名を 使った。姓がどちらでも文章の内容にはあまり関係がないので…。更に名も昌信が一般的だが、 史料によると虎綱という名を使っていたようだ。



これを書いたとき、すっごいヘコんで、自分を見失いそうだったので、気分転換に自分が好きなモノに ついて改めてまとめてみようと思い立ったワケです。打ち直しててハズカシかった。イキオイで 書いたので、文章がアヤしいトコがあったりして、更にハズカシ…。
これを書いてから、一年経ったけど、相変わらず、信玄公も高坂弾正も尊敬してます。 ずっと昔の人たちだし、社会状況も異なるけど、学ぶことや考えさせられることがたくさんあります。
社会状況も異なるといえば、ドイツに武田ファン集団がいるんですよ。
もちろん、ドイツ人の方が運営なさっているんですが、鎧や着物、小物まで手作りしているとか。 その方々はそれぞれ、家臣の名前を名乗っています。日本のテレビ番組で、 どうして、信玄役がいないのかと尋ねられて、「信玄公は私たちの心の中にいます。」みたいなことを 答えてました。そう!それだよ、それ!とテレビ見ながら、一人で感動。 信玄公には外国の人まで惹きつけるモノがあるんですね。
高坂弾正はNHKの『堂々日本史』の「戦国最強 武田軍団はなぜ滅びた 〜二代目・勝頼の悲劇〜」 という話(この話のどのヘンが”堂々”なのか、未だに謎)の中で、 最後の重臣として取り上げられていました。
なんて言えばいいのか、とてもやるせない話でしたけど。新しい主君・勝頼との確執、長篠での敗戦、 その後、ようやく北条家と政略結婚をするという意見が取り上げられたが、まもなく、高坂はこの世を去る。 しかし、上杉謙信が死去したことにより、周辺諸国との関係が複雑になり、北条家と政略結婚したことが、 その後の武田家に大きな影を落としてしまう…。
見てて、涙が出ました。だけど、勝頼が主役だったハズなのに、オイシイとこ、全部持っていくあたり、 さすがって感じでした。
前の主君との関係がうまくいっていればいるほど、次の主君との間には確執が生じるものなのか。 お互い、どうすれば、良好な関係を結ぶことができたのか。 こういうことって現代社会でも起こりうることではないでしょうか。
話がかたくなったけど、実際はもっとテキトーっていうか、ごった煮的な考えの信玄公贔屓なので、 あまりマトモに受け取らないでね。私が書きたかったのは、お屋形様と高坂弾正はサイコーの 主従ってコトです。そして、いつまでも、私の憧れでありつづけてくれることでしょう。




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